仏教美術 中  
 

 

  仏経美術の歴史  
 
初期
 諸説ありますが、紀元前486年、釈尊が入滅しました。
 その舎利(遺骨)は八つに分けられ、八つの塔に納められましたといわれています。その塔の玉垣に彫られたさまざまな彫刻が、仏教美術のはじまりとされています。
仏像製作開始
 釈尊の死後、仏教はインドのまわりの国に伝えられました。そして、2世紀頃、ガンダーラにおいてはじめて仏像がつくられました。仏像制作の初期に於いては、釈尊の伝記の場面や、礼拝用の正面向きの立像などが制作されていました。
大乗仏教と菩薩道
 やがて、己の悟りより人々の救済が重要であると説く菩薩道が盛んになります。多くの仏が経典に説かれるようになりました。阿弥陀如来や観音菩薩など、今なお信仰されている多くの尊像への信仰は、このころ盛んとなりました。
 その気運を受け、仏教美術の世界でも、礼拝のため、多くの仏・菩薩がつくられました。この気運は大乗仏教運動とよばれ、以後、仏教の主流となってゆきます。日本に伝わっている仏教のほとんどが、この大乗仏教運動の流れをくむ仏教です。
密教
 大乗仏教の興隆の後、仏教は、ヒンドゥー教と競い合い、秘密の側面を発展させてゆきます。密教と呼ばれるこの運動は、基本的な教理は大乗仏教と同じですが、悟りに至る修行法に特徴があります。複雑な瞑想法を用いて、素早く悟りにいたることを要点としています。その際、複雑な図像が用いられ、仏教美術の世界でも、多くの仏が集合した図である「曼荼羅」が制作されるようになりました。
インド仏教の終焉
 密教は、その歴史と共に複雑さを増し、密教主体となっていた当時のインド仏教は、僧院を拠点として、伝えられました。そのため、13世紀前半に回教徒がインドを侵略し、仏教僧院を徹底的に破壊し、仏教とを徹底的に弾圧した際、僧院を拠点としていた当時のインドの仏教は下火となり、ヒンドゥー教などに吸収されてゆきました。同時に、インドに於ける新しい仏教美術の創造も、ほとんど無くなってしまいます。
各地の仏教
 インドに於いて仏教は下火となってしまいましたが、仏教は、その長い歴史を通じて、ネパール、チベット、ビルマ、セイロン、タイ、中国、そして、日本など、アジア各地に伝わりました。
 インドシナ半島では、大乗仏教以前の仏教の流れを汲む仏教が主流となりました。
 チベット文化圏では、インドに近いこともあり、後期の密教を主体とする形となりました。
 日本には、大乗仏教と、中期の密教が伝わり、現在の諸宗派となりました。
 このように、インドよりはじまった仏教は、東アジアに伝わり、それと共に、仏教美術の伝統も伝わり、今なお、各地に於いて、さまざまな尊像が制作されています。
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